特別研究室

ブエノスアイレスの地下鉄

日本の地下鉄とかなり関わりを持っています。



100年近く現役で働く車両


・概要
 ブエノスアイレスの地下鉄はSubte(スブテ)と呼ばれ,ブエノスアイレス市内に6路線の ネットワークを巡らせており,路線名はA〜EとHのアルファベットで表記されています。 ブエノスアイレスの中心部から放射状にA,B,D,Eの4路線が延びており,これらを扇の 要のように結ぶのがC線,もう少し郊外でH線が縦断的にE線とA線を結んでいます。最初の 路線はA線で1913年の開業からあと数年で100周年を迎えます。


ブエノスアイレスのランドマーク,オベリスコとスブテ入り口。

 スブテを運営するメトロビアスという会社はスブテ6路線の他,プレメトロ(トラム) と郊外鉄道のU線という路線も運営していますが,料金はスブテと共通ではなく,別料金を 支払う必要があるようです(プレメトロ線は乗継割引があるようですが)。料金は1回1ペソ 10センターボ(2009年10月現在約33円)と日本円に換算すると非常に格安な移動手段です。 乗車券の種類は通常の乗車券が1回券,2回券,5回券,10回券,30回券とあり,回数の 増加による割引はなく30回券は1回券の30倍の値段(33ペソ)です。


今回使ったスブテパス(乗車券)は1回券(1viaje)から10回券(10viajes)まで。広告付きもあり。

 どの路線も車両が乗務していますが,乗務する位置は車両によってバラバラです。 後に紹介する日本からやってきた車両など,乗務員室にドアがある車両は最後尾に,それ以外 の車両では先頭車の真ん中の客室ドア付近が乗務位置になります。車掌の仕事はドアの開閉と 発着時の安全確認で,車内放送などはやりません。ホームの安全確認も日本のように最後まで 確認を続けるのではなく,ドアを閉めて動き出すとすぐに顔を引っ込めてしまいます。

・A線の超旧型車両
 A線に使用される車両のほとんどは開業時からなんと90年以上現役で活躍し続けている車両 です。両運転台の車両が5両連結されて5両編成を組成しています。外観は紺色の下半身と 薄い灰色の上半身の間に黄色いラインが入っている両開き3ドアの形状です。特徴的なのは 窓。上辺がアーチを描く窓が戸袋部分も含め5つ並び,美しい連続アーチを描いています。 窓自体は下に落とし込むタイプで,ほとんどの窓が開け放たれた状態で運行されていました。 正面は向かって右半分が運転台,左側は客室スペースとなっており,先頭車両からは 前方展望が満喫できます。


左:向かって右が運転台,中と左の窓部分は客室になっている。
右:アーチがきれいな側窓。戸袋部分の客室側は鏡になっている。

 室内ですが,まず乗務員室は木製の仕切板を組み合わせてまるでトイレの個室のような 形に作られます。室内から向かって一番右側の前面窓は開けることができ,トンネル内は 強い風を浴びながらかぶりつきをすることになります。ライトに見える正面の照明は実は ガラスを通して光が漏れる室内の白熱灯という仕組み。したがって,中間車も最後尾車両も ライトが付いているように見えます。室内はほとんどが木造でニス塗りの木製壁板や座席が とてもよい味を出しています。基本的には4人掛けボックス席の配置ですが,車端部は1人分 の座席がない3人ボックスになっています。照明は白熱灯で,天井からはつり革とスタンチョ ンポールが伸びています。連結面にあたる運転台は木製の扉が折り畳まれ,客室スペースが 確保される機能的な作りになっています。


左:室内の様子。ほとんど木造。右:乗務員室隣は絶好の展望席。


乗務員室が折り畳まれた状態(左)と組み立てられた状態(右)。


左:外側からライトに見えるのは実は室内灯。
中:室内灯なので連結面にもライトが点る。
右:運転台の様子。折り返し時に見せてくれた。

 ドア開閉は車掌の仕事ですが,開けるときはロックを解除するだけで,ドアを開けは 乗客が各自行います。かなり重たいドアなのですが,実はホームと反対側のドアロックも同時 に解除されるので,やろうと思えばホームと反対側のドアも開けることができます。 当然ながら速度検出機能などもなく,ドアロックの解除は電車がかなり速度の時から行われる ので,ドアを開けられてもしばらくホームには降りられないこともしばしばです。車掌は先頭 車両の真ん中のドアを使い,乗降を確認してドアロックをします。とはいえ,ロックからドア が閉まるまでもかなりタイムラグがあり,その間に電車は出発してしまいますので,出発時も 速度が出てもドアが開いたままということもあります。いずれにしろ,電車の速度とドアの 開閉は全くリンクしていないので,「電車の停止中しかドアは開かない」という日本の概念は 全然通用しません。


ドアを閉める車掌。

 とにかく,こんな車両が未だ現役で走っているのが信じられないという感じで,すでに 博物館に展示されていても全然おかしくないような車両です。しかもそれがA線車両のごく 少数なのではなくほとんどの車両がこのような超旧型車両ですので,余計に驚きです。老朽 化は著しいようですが,末永く活躍してもらいたいものです。

・日本からやってきた車両
 ブエノスアイレスのスブテでは日本で淘汰された車両が第二の人生を送っています。 まずは地下鉄車両の代名詞といっても過言ではない営団地下鉄丸ノ内線の赤い車両。この車両 は90年代に東京で廃車になった後,はるばるブエノスアイレスにやってきて現在までスブテB線 で活躍しています。この車両もB線車両のほとんどを占めており,B線に乗ればほぼ100%出会う ことができるでしょう。


左:薄汚れているものの,丸の内線の姿そのもの。中:側面下部には黒いステップが追加されている。 右:車内もほとんど無改造。

 車体のカラーリングもそのままに室内さらには編成も6両編成と東京時代と変わらないまま ブエノスアイレスで活躍しています。唯一の違いは車体側面下部に黒いステップ取り付けられ, ホームと車両の間隔を調整している点でしょうか。ただ,残念ながら真っ赤な車体は落書き帳 としても魅力的のようで,ほとんどの車両で落書きされ,なかなか落書きのないのきれいな オリジナル外装に出合う機会はありませんでした。車内の送風機には営団のSマーク。既に東京 でも全く見られないこのマークが地球の裏側のブエノスアイレスで見られるというのは何とも 皮肉な話ですね。


左:送風機に残るSマーク。右:乗務員室の日本語もそのまま。

 もう一つ,名古屋市営地下鉄で活躍していた黄色い車両もスブテC線で活躍しています。こちら の車両は現役時代の黄色い車体に紺色の帯巻かれ,日本での現役時代とはちょっと装いを変え ていますが,やはり室内は枕木方向に設置される案内表示機以外はほとんど手が入れられて いないようです。こちらも送風機には名古屋市営地下鉄の丸いマークが入ったままです。 この車両は丸ノ内線車両と違ってブエノスアイレスの生え抜き車両と共存しており,C線内での シェアはちょっと低めです。それでも半分以上は名古屋地下鉄車両でしょうか。この車両は ホームとの高さが合わず,車両床のほうがホームよりも低くなっています。日本の感覚で ホームに降りようとするとつまずいてしまいますのでご注意を。


左:名古屋市営地下鉄車両。こちらは丸の内線と違い帯が入れられている。
中:これも名古屋地下鉄車両。左の写真の車両とは違う形式らしい。
右:車内には枕木方向に案内表示機が設けられている。

 日本からやってきたどちらの車両も冷房装置がないので窓は開けっ放し。窓からは豪快な走行 音が入り,室内での会話もままならない状態です。一昔前は日本の地下鉄もこのような状態 だったのでしょう。このような騒音がかつての日本の地下鉄では普通だったわけで,こういう のを体験すると札幌地下鉄がゴムタイヤで静粛性を求めたというのもわかるような気がしました。

・オリジナル車両
 ブエノスアイレススブテでは,日本から来た車両以外にもブエノスアイレスのオリジナル車両 も活躍しています。まずA線のグレーの車両。この車両は両運転台の同じ車両を5両繋げて5両 編成で運転されていました。A線でもごく少数派で超旧型車両の間で細々と活躍している印象 でした。この車両自体も造りなどをみるとそれほど新しい形式ではないようですが,超旧型車両 と比較すると近代的な車両に見えてきます。前面にトラ塗りがあるため,最初は保線車両が やってきたかと思いました。


A線の少数派形式。保線車両みたい。

 次にC線,E線,H線で活躍する黄色の車両で,3線で活躍するだけありブエノスアイレス オリジナル車両の中では数が多い方です。C線車両は6両編成で名古屋地下鉄の車両とともに 運用されていますが,E線,H線では4両編成でほぼこの形式だけで運用されているようです。 E線とH線の車両は似ているものの違う形式らしく,どちらかというとH線車両のほうが古い タイプのようです。両形式では尾灯や内装が異なりE線車両は座席配置はボックスタイプ, H線用はロング式配置になっています。乗務員室ドアがないため,車掌は先頭車の真ん中の 乗客ドアを使ってドア開閉をします。


左:H線用。尾灯と前照灯が一体,右:E線用。尾灯は上部にある。

 D線ではブエノスアイレススブテの中で一番新しい車両が活躍しています。D線では ほとんどの車両がこの形式で,ヨーロッパ風の黄色い顔にグレーの帯が巻かれ,帯の上には SUBTEと大きく書かれています。側面はアルミ地のままの車体にグレーの帯が入りドアのみが アクセントで黄色く塗られています。またこの車両とともに少し古いタイプの車両も少数運用 されており,こちらは旧塗装と新塗装の2種類が混在していました。この車両は3両1編成で 通常は2編成連結した6両で運転されています。なお,D線で使用される車両はどちらも乗務員 室扉が付いており,車掌は最後尾に乗務します。


左:D線車両。スブテ車両の中では最新鋭,右:旧型車両旧塗装車。


左:旧型車両新塗装,右:新旧塗装編成の混結。

・駅
 まずスブテの入口は基本的に歩道に独立した階段があるタイプで,建物と一体化した入口は 都心部でもほとんどなく,唯一の例外はC線Lavalle(ラバージェ)駅くらいでしょう。入口の 上部には大きな丸いサインが掲げられており,丸の下地の色はそれぞれの路線のラインカラー (A線:水色,B線:赤,C線:青,D線:緑,E線:紫,H線:黄色)が使われるのが原則と なっています。入口には運行状況表示があり,路線名が緑色なら平常運行,赤なら運行障害 があることを示します。


左:紫はE線。今は全線平常運転。右:緑のD線の駅入口の奥に青いC線の駅入口。

 ブエノスアイレスのスブテでは,乗換駅でも路線毎に異なる名前の駅名が付けられており, 各路線が改札内の通路でつながっていても乗換駅を一つの大きな駅とはみなしていないよう です。ちょうど東京メトロの永田町駅と赤坂見附駅の関係と同じです。そのため,すぐ近くの 入口であっても違う色のサインが掲げられていることもあります。乗り換えは必ずしも近くな く,結構な距離を歩かされることが多いです。駅構内は切符売り場と改札機だけのシンプルな 造りで,切符は自動販売機でも買えますが,有人窓口しかない駅もあり,原則対面販売となり ます。改札機は磁気式の切符を通して回転バーを通り抜けるタイプで,出るときは切符を挿入 せずにそのまま回転バーを通過します。一部の終端駅の降車専用ホームがある駅やエスカレー ターで出る駅ではゲートなしで外に出てしまうところもあります。


左:A線の駅。良い感じで古さを残している。右:楕円の断面のこの駅はパリメトロによく似ている。

 都心近くの古めの駅では,乗り換え通路やホームには大きな扇風機が設置されているのが 特徴です。ホームは全面的な装飾はありませんが,各駅には壁画が描かれています。郊外に できた比較的新しい駅では,トンネルポータルの上部にも装飾が施されているところがあり ます。ホームには時刻やお知らせを知らせる表示機がありますが,電車到着までの時間や発車 時刻を知らせる発車案内の類は一切なく,次の電車が来るまでどのくらいあるのかは全くわか りません。概ね,平日昼間で5分くらい,休日だと7,8分くらいの間隔でしょうか。


左:ホームの壁画。右:郊外の新しい駅は他都市の地下鉄とあまり変わらない雰囲気。

 ブエノスアイレスのスブテの雰囲気を楽しむのならやはり開業時期が一番早いA線の駅が 良いでしょう。特にA線の都心近くの駅Peru(ペルー)駅の茶色とベージュを基調とした装飾は とてもきれいです。またこの駅のホームには工事風景など地下鉄の歴史を語る写真が装飾として 展示されており,写真の中には今でも現役で走る旧型車両の姿も見えます。


左:A線Peru駅。茶色の柱とベージュのタイルがいい感じ。右:青い改札機は開業当時からのものかも。

・日本の地下鉄との深い関わり
 ブエノスアイレスのスブテの開業は東京の地下鉄よりも早く,東京に地下鉄を建設するに あたり,日本からはるばる視察団をブエノスアイレスに派遣しました。現在の東京メトロ銀座線 はブエノスアイレス地下鉄A線がモデルとなっています。また,旧営団地下鉄丸ノ内線の車両や 名古屋市営地下鉄の車両が第二の人生を送っているのもブエノスアイレスのです。さらに, ブエノスアイレスの地下鉄は日本の技術支援が行われ,それまでの故障した後に修理する事後 保全から故障前に保全する予防的保全に変えたのは日本の指導によるものとのことです。

 また,営団銀座線で採用されていた打子式ATSがブエノスアイレスのスブテでも採用されて います。もしかしたら,ブエノスアイレスの方式に倣い,銀座線でも採用されたのかもしれま せん(日本ではすでに使われていません)。ブエノスアイレスのスブテの打子式ATSは 日本のそれとは異なり,信号機から伸びたアームが車両屋根にあるエアコックを解放すると いう仕組みです(日本のは軌道内に打子を設置)。


左:信号機。黄色い打子が下りている。中:青信号だと打子は上がる。
右:車両屋根のエアコックの長いバー。

 最初はブエノスアイレスのスブテが日本の地下鉄のお手本となり,その後それに対する 恩返しのように逆に日本から技術支援や車両を提供しているというのは,何とも興味深いこと です。ブエノスアイレスは地球の裏側とはいえ,ブエノスアイレスのスブテは,世界の中でも 日本の地下鉄と一番関わりのある地下鉄ではないでしょうか。


参考資料:

  • 『地球の歩き方'08〜'09アルゼンチン チリ』,ダイヤモンド社,2007.10。
  • 日本地下鉄協会『最新世界の地下鉄』,ぎょうせい,2005.6。

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    2009/11/21作成
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