札幌地下鉄の車両の概要

ここでは札幌市営地下鉄の車両について全般的な解説をします。

2000系の先頭展望(澄川−自衛隊前間)
このようなことができる車両もなくなってしまいました。


 今まで札幌の地下を走った地下鉄車両は全部で6系列あります。南北線用の2000(1000)系, 3000系,5000系,東西線用の6000系,8000系,東豊線用の7000系です。現在2000系は全て引退 しましたが,それ以外の形式は現在でも札幌の街の地下を走っています。


 札幌の地下鉄の車番は四桁の数字です。千の位が車両の系列(形式)を,百の位が編成内 の順番(真駒内,新さっぽろ,栄町側が1)を,下二桁は編成の番号を表します。例えば「2518」と あれば,2000系の第18編成の真駒内側から5両目ということになります。 また,札幌市交通局では車両の系列を表すときにを○○形 と呼んでいるようです。ですが当研究所では,車両系列を表現するときには○○ 系という表現で統一します。「系」は,系列全体を表すときに使い, 「編成」はその系列の一本の編成を,「形」 は編成内の個々の車両を表すのに使うことにします(例えば,「2000系」系列「2020編成」の真駒内側 先頭車両を「2120形」と表現します)。


 いまでこそ,札幌の地下鉄のシンボルにはSTマークが使われていますが,昭和46年当初, 札幌市の市章が車両のあちこちに装飾されていました。初めて札幌市に登場した2000系でみると, 先頭車の正面に大きな札幌市章,乗務員室,客室のドア,車体側面中央とありとあらゆるところに 札幌市章がつけられています。2000系8両編成の場合,その数はなんと86個(先頭車13×2,中間車10×6) にもなります。ただし,これは,中間先頭車がない編成の場合です。全て先頭車で構成される 2020編成に至っては,中間車にも乗務員室ドアがある関係で98個(先頭車13×2,中間先頭車12×6) とあと一歩で100個に届く勢いです。

 この後に登場した6000系は,現在の7両編成で62個(初期車編成)とちょっと少なくなりました が,代わりに北海道をかたどったSマークを頭に付けるようになりました。また,6000系の登場時期に は乗務員室ドアにも札幌市章がありましたが,現在は消されています。いつごろから消されたかは定か ではありません。南北線の3000系では,先頭車正面と各車両側面だけになり,編成全体でも18個にまで 減ってしまいました。そして,7000系初期車でも車両正面と各車両側面で,10個,7000系後期車以降は STマークのみになり,札幌市章は一個もなくなってしまいました。今でこそそうでもありませんが, 以前は札幌の地下鉄がいかに札幌の象徴とされていたかが,この札幌市章の数を見てもわかるような 気がします。


 札幌の地下鉄に乗って驚く人が多いのは,ドア窓の大きなクマさんステッカーでしょう。他市 どの鉄道でも見られない大きな「ドアに注意」のステッカーが貼られています。ほとんど窓の下半分は ステッカーで視界が遮られています。さらに上部にも「ドアに注意」のステッカーが貼られ,ドア付近に 立つと,外を覗くように見るしかありません。今でこそ,クマさんステッカーも体の形に合わせて成形 されており,以前より視界は広がりましたが,それでもかなりの部分がステッカーで覆われています。 以前は千鳥配置にステッカーが貼られていましたが,今は全てのドア窓に貼られています。大きな窓が 特徴の2000系でも実際にはかなり小さい窓になっていました。

旧クマさんステッカー(2000系)と現在のクマさんステッカー(7000系)
2000系の反対ドアにはクマさんステッカーが貼られていない。

2003年5月10日追記

 平成14年度にドアステッカーは全て交換されました。今までよりも面積が小さくドア下側にも 見通せる部分が出来ています。これだとこどもでも外を除くことができるでしょう。余談ですが, 営団地下鉄6000系(札幌地下鉄の3000系に似た千代田線用車両)はこどもがガラスに触って手垢を 付けないように,ドア窓がとても小さくなっています。このため,車内がとても暗く直通運転で 昼間地上区間を走る際には乗客に大変不評だとのことです。


 札幌地下鉄車両の命とも言えるゴムタイヤ。昭和39年の試験開始以来,試行錯誤の繰り返し により現在の高性能タイヤを開発するに至っているのです。

 最初に採用されたゴムタイヤは,「リブタイヤ」と呼ばれるジグザグの溝を持つタイヤでした。 南北線開業時の昭和46年,札幌の地下鉄車両はこのタイヤを履いて走り始めたのです。このタイヤの 側面には白字で大きく「BRIDGESTONE」の文字が入れられていました。このタイヤの耐用走行距離は 9万キロでした。翌昭和47年には溝のパターンがストレートに変更され,耐用走行距離は9.7万キロに 伸びましたが,一年に約8.5万キロを走る地下鉄車両では,毎年の交換が必要でした。そのため, 耐摩耗性の高いタイヤの開発が引き続き進められたのです。昭和48年,溝のないスリック タイプのタイヤを開発。タイヤの耐用距離は一気に40万キロまで伸びたのです。しかし,この当時 のタイヤはチューブタイヤだったので,タイヤの耐用距離は40万キロでもチューブが20万キロしか もたず,チューブの交換が必要でした。そして,ついに昭和54年,待望のチューブレスタイヤが 完成したのです。以来,南北線用のタイヤはこのタイヤを元にさらなる進化を遂げていったのです。

 一方の東西線では,車体の大型化やタイヤのシングル化に伴い,タイヤの耐摩耗性や高負荷に 耐えるタイヤの開発が進められ,昭和51年の開業時にジグザグの溝付きタイヤが完成しました。以来, 現在に至るまで,このタイヤが用いられ(もちろん細かな改良はあると思います)車体規格が同じ 東豊線用7000系でも同じタイヤが使われています。

 開業当初,札幌の地下鉄車両は全般検査を3年おきに実施しなければなりませんでした。一般の 鉄車輪車両が4年おきだったので,ゴムタイヤ車両は1年短かったのです。しかし,昭和58年から鉄車輪 車両と同じ4年おきにすることが認められました。これは,ゴムタイヤが鉄車輪と肩を並べることが できたということで,試験段階からゴムタイヤの研究開発に携わった方々の喜びもひとしおだった ことでしょう。

ゴムタイヤ台車(左)と特殊可燃物貯蔵取扱所標(右)
特殊可燃物貯蔵取扱所標は札幌地下鉄ならではのもの。


参考資料:
札幌市交通局『さっぽろ市営交通』No.35,1985.7。


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2003/5/10更新
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