東西線の歴史

ここでは東西線の歴史について研究します

東西線に関する資料が集まらず簡単な記述になってしまいました。すみません。


南郷7丁目駅に停泊する6000系(6020編成)
新さっぽろ発南郷7丁目行きも今はない。


 南北線開業後も札幌市の東西の移動は主に国鉄線が担ってきました。しかし, 大通に行くには地下鉄に乗り換えねばならず,不便な面もありました。また円山付近は 全く国鉄線とは連絡できず,未だ市電に頼る状態でした。そこで南北だけの「片肺」地下 鉄から脱却すべく,琴似−白石間の東西線が昭和48年3月に着工されました。当初は昭和50年 11月の開業を目指していましたが,折しもオイルショックの物価高騰に見舞われ,資材確保などに 時間を要したため,約半年遅れの昭和51年6月に開業しました。しかし,東西線の開業より, 札幌市の東西南北地下鉄網が完成し,市内交通体系の基礎が固まりました。

 東西線は全線地下方式で開削工法を採用し,豊平川を渡るバスセンター前−菊水間はあらかじめ 作ったトンネルの函を沈めるように埋めていくケーソン工法が採られました。工事は白石−菊水間で 最初に終了し,この区間で昭和50年4月から6000系試作車を使った 試運転が開始されました。当時,東西線の車両基地である西車両基地が完成しておらず,車両は クレーンで地下線の軌道へ降ろされました。要するに白石−菊水間は東西線開業の1年以上も前に すでに完成していたのです。


 駅はモダンな装いを主眼として,札幌のシンボルである赤れんがや時計台をデザイン したホーム壁面,大理石の柱や広告の額縁などが採用されました。特に琴似−大通間が近代的な イメージをもとにした明るい色調を配し,大通−白石間が渋い和風イメージの配色をしています。 さらにホームは最大9両まで停車できる170mと長大化されました。各駅は平均深度12mとなるため, エスカレータの設置など南北線の駅からも大きく変更されています。

 車両も2000系の実績を踏まえさらなる改良を加えた新形式6000系が用いられ,車内に赤れんが や時計台,大通公園の彫刻などをモチーフにした化粧板が採用され,先輩格の2000系に比べかなり 明るい雰囲気になりました。当時は毎日見ていて飽きがこないか心配されたほどでした。なお, 車両については車両研究室・東西線の車両で詳しく研究します。


 昭和57年に東西線は白石から新さっぽろまでの7.4kmが延長開業しました。今までひどいときには バスで一時間もかかっていた新さっぽろ−大通間がわずか19分に短縮されました。新さっぽろ ,大谷地の各駅には大規模バスターミナルが設けられ,バス−地下鉄の総合交通体系が確立され ました。また,南郷7丁目駅は中線が設けられた2面3線の形態が採用され,西行き始発電車は 南郷7丁目駅中線から発車するようになりました。これは始発駅が新さっぽろになったことから, 途中駅発の始発電車を設けることで各駅の始発時間の均衡化を図ったものです。

 延長部分にはひばりが丘から分岐する東車両基地が設けられ,このときから大規模な車両検査・ 保守は東車両基地で行われるようになりました。車両は東豊線が開通するまで東車両基地と西車両 基地で半数ずつ配備(西車両基地は奇数編成,東車両基地は偶数編成を配備)されていました。


 琴似まで開通していた東西線でしたが,地下鉄の開業して異な札幌市最西端の手稲区や琴似以西 の西区では,都心までの足としてJRかバスに依存しており,特に国道5号線−北1条通を通る都心直行 バスはラッシュ時や積雪期に通常の何倍もの時間を費やしていました。そこで,これら都心直行バスを 地下鉄へ短絡させることを目的に,平成7年2月から琴似−宮の沢間の延長工事が始まりました。しかし, 平成8年冬には記録的な大雪となり,土砂運搬用ダンプがすべて排雪用に振り向けられたため,工事が 一時中断するというハプニングが発生しました。それでも,その後の工事も順調に進み,予定より早く 平成11年2月に開業しました。延長部分には発寒南と宮の沢の二駅が設けられ,どちらの駅もバス ターミナルを併設しています。

延長部分は建設費を抑えながらも高齢化社会に適応する施設の建設を目指し,ホームから地上まで エスカレータで結び,トイレに段差をなくす,手すりを二段にするなどの配慮がなされました。また, 発寒南駅は手稲連邦のさわやかなグリーンを,宮の沢駅は駅周辺を流れる旧中の川の清流と駅名の 「沢」をイメージするライトブルーというイメージカラーがつけられました。


参考資料:
『私鉄車両編成表』,ジェイ・アール・アール,各号。
札幌市交通局『札幌地下鉄建設物語』,1985.12。
奥野和弘「札幌市営地下鉄東西線 いよいよ開通」『鉄道ファン』,184,交友社,1976.8。
奥野和弘「札幌市営地下鉄 東西線開通」『鉄道ファン』,185,交友社,1976.9。
山崎久嗣「東西線の延長(琴似〜宮の沢間)」『SUBWAY』,116,日本地下鉄協会,1999.3。


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1999/10/11作成
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